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グリーンポプリのなりたち

父に三井温熱器で施術する
父に三井温熱器で施術する

グリーンポプリ株式会社は、今は亡き父(後藤 邦汎)が自力で肺がんを克服したのち、1986年に創業いたしました健康食品と健康機器・治療器販売の会社です。自力でといいますのも、私の家庭は私の幼少時=50年近く前から完全玄米菜食で、薬もあまり使わず、もともとあまり病院治療を行う家庭ではなかったのです。その後私が高校を卒業するくらいまで、完全玄米菜食でした。
 父はトータルで肺がんを2回、胃がん、腎盂がんをそれぞれ1回の合計4回がんを患いました。それでもがんに関して手術、抗がん剤、放射線などの3大治療を一切行わなかったことは、自然な流れだったでしょう。その他COPD(肺気胸)やリウマチなどの重病とも闘いました。そして闘いの主軸には、いつも健康食品や温熱がありました。グリーンポプリの考え方の根幹は、そうした環境に根ざしているのです。

自分こそ最高の名医

 私は父から「腸が大切」と、耳にタコができるくらい言われ続けてきました。そして家には当たり前のように、酵素や乳酸菌・ビフィズス菌、乳酸菌生産物質ほか健康食品がありました。また温熱マットやドーム型サウナなども30年以上にわたり家にありました。我が家では「自らの力で病気にならない体を創り上げる」、「病気になったら自分で治す」というのは当たり前の考え方だったのです。

父の愛用した遠赤外線ドームサウナを設置し直す私
父の愛用した遠赤外線ドームサウナを設置し直す私

例えば風邪をひいたとします。そうすると食事を控えめにします。そして乳酸菌と植物由来の栄養ドリンクを多めに飲みます。そして温熱マットや遠赤外線ドームサウナを駆使して、大量に発汗します。あとは寝るだけ。本当に我が家の風邪の治し方って、本当にシンプル。だから私は恐らく薬というものを飲んだ記憶がほとんどない。そのような家庭でした。父の口癖は「自分こそ最高の名医」でした。

玄米菜食が嫌いだった

玄米ごはん

私が小学生の頃、私の弁当は玄米の上に真っ黒いすり胡麻がかかっていて見た目的に悪いものでした。「後藤のご飯は何で黄色いの?」と不思議そうに言われるのが嫌でした。しかも皆の弁当にはタコの形をして真っ赤で美味しそうなウインナーが入っていました。一方の私はグルテンミートです。なので私は玄米菜食が嫌いでした。その頃の私は体の弱い私を強くしようと思い悩みながら始めた健康生活を、全く理解していませんでした。今思うとそれは宝でした。

30年前は健康食品はマイナーな存在だった

今でこそ健康食品は当たり前の存在になりましたが、30年前は健康食品なんてマニアだけが買っている胡散臭いイメージでした。ですから「私の父は変わった会社を営んでいるな。」と思っていました。でも健康食品そのものや、薬草などは好きだったんですね。それでも私が年をとるほどに「父の行っていたことは凄いんだな。」と思うようになりました。そして私が経営に携わると、さらに凄いということが身にしみてわかりました。

30年以上も前のお客様からお電話をいただくと父の偉大さがわかる

今でもありがたいことに弊社には「お父さんには本当に感謝しています。」というお電話をいただくのです。20年~30年近くも経っているのに。そして時々お客様からお電話をいただき、父が30年前に作成した資料を大切にとっているというのです。なんと嬉しいことでしょう。父は自分ががんになった原因の一つとして、知識不足であったことを挙げていました。もっと病気に関して知識があれば防げたかもしれない。だから「伝えることは大切なんだよ。」と言っていました。伝えることの大切さを噛み締め30年前の父と自分の姿を重ね合わせると、資料作りにも魂が入ります。

終末期は苦しいものだった

これまで健康食品や健康機器・治療器の類をふんだんに使用して参りましたが、父の闘病の最期の時期は大変苦しい思いをしました。痛かっただろうし、辛かっただろうし。訪問看護でロキソニンやボルタレンという痛み止めだけで、麻薬もほとんどやりませんでした。そのおかげで頭は最期までクリアで床ずれの一つもなかったので、看護師さんには「こんなに状態の良い患者さんは見たことがない」と褒められました。でもあれほどまで私に「腸内環境は大切」と言っていた父が、最期の時期には排便で苦しんだのが一生忘れられません。また来る日も来る日も続く、リウマチの痛みを何とかとってあげたかった。父が生きている間に「Total Flora」や「Popuri One-Th Balance-」を開発できればよかったのに。そう思うと悔しくて仕方がありません。

父が後押ししてくれたのだろうか

でもこうも思うのです。「Total Flora」や「Popuri One」、「ポプリ乳酸菌生産物質」、「育てる~」…は、父が天から後押しして私に作らせたのではないかと。「健康食品や健康機器の店を30年以上やっていたのに…。」という私の無念さを、ポジティブに変えるためのプレゼントかもしれない。あれほどお客様に喜ばれた父の想いは大切にしたい。そしてあれほど「腸内環境」と「温熱」と言っていた想いも。私には父ほどの力量はないだろうな。でも私はこの悔しさをバネに、ガンやリウマチなど病気の根絶に少しでもつながるように全力を尽くしたい。今後私の健康食品や機器を使用して、1人でも多くの方々が少しでも健康になっていただけましたら嬉しく思います。その喜びの声はきっと天国にも届き父も喜ぶでしょう。

父の脚マッサージをする私
父の脚マッサージをする私