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ポプリ健康法のなりたち

およそ40年前肺がんにおかされる

 私の父は今から約40年前42歳の時に肺がんに冒されましたが、病院治療を行わずに自力で治しました。「どうして病院治療を行わなかったのか?」と後から問いただしたのですが、“未分化小細胞がん”という特殊ながんであったために、当時の病院では為す術なしだったそうです。「もし治療法があれば行きたかったよ。」と言っておりました。「なるほど最初から病院治療の選択肢がゼロということは無いよな。」と納得した覚えがあります。

3大治療を行わずに自力で克服

 その際には様々な健康食品を飲用し、遠赤外線サウナに入り、バケツをひっくり返したように汗をかいたり(本人談です?本当にバケツ?一体どれくらいの量なんだ?)、温灸をやったりしたそうです。そしてそれまで運動というものを全くしなかった父が、マラソンの会に入ってランニングをするなどして、自力でがんを完治させたのです。

がんは長年の生活習慣の積み重ね

 父は「がんは1日2日でできたものではなく、何年もの日常の積み重ねで出来上がったものだ。」と力説しておりました。ですから、がんにならないためには「日々のセルフケアこそが重要だ!」と考え、1986年にセルフケアを推進するグリーンポプリ株式会社を創業いたしました。その時の方法論をお客様にお伝えするために体系化したのが、4つの柱からなる「ポプリ健康法」です。

ポプリ健康法のイメージとは

 ポプリ健康法の全体イメージとして、腸内を綺麗にして汚れの発生源を断つことで、血液に汚れが吸収されなくなります。大汗をかいて排便・排尿をよくすることで、しっかりと排毒します。さらに肝臓や腎臓の機能を高めることで、解毒・排毒の機能が高まります。そうして新品のスポンジのように吸収されやすくなった体に、良質な栄養素を補って体を作り変えましょうというイメージでした。摂り入れることよりも、まずは出して綺麗にすることが先なのです。
 「なるほど理にかなった流れだ。」と思いました。このことを父が提唱したのは30年以上前のことであって、当時から「整腸」や「温熱」、「血行促進」という、今でこそ認知された手法を採り入れていたのです。父はがん対策とセルフケアに全力を注ぎました。遠赤外線サウナを車に載せて、全国各地で健康教室を行うなど、それは精力的なものでした。30年以上経った今でもその頃のお客様から、感謝のお言葉をいただきますので、父の仕事ぶりが思い起こされます。

2度目のがんを患うも再度克服

 父は1995年には2度目のがん(胃がん)を患うこととなりました。私は父のサポートをするために1995年から2年間ほど、父の下で一緒に働いていたことがあります。もちろん全く役には立ちませんでしたが、今となりましてはとても良い思い出です。この時の経験は私にとってとても大きいもので、現在の経営の基盤となっております。父はまたしても病院治療を行わずに再度がんを克服しましたので、私は自分なりの健康法を深めたくなり、栄養の学校に入り勉強しました。卒業後にはマクロビオティックの会社で働き、自分なりの健康法を模索し続けました。

再び体調を崩す

 がんを克服したのちは精力的に仕事をこなしておりましたが、寄る年波にはかなわず、2002年には再び体調を崩し会社の運営が困難となりました。父からは「会社を引き継いでくれないか。」とお願いされましたが、私には引き継ぐ意思はありませんでした。以前に方針が食い違い反りがあわなかった記憶が残っていました。そしてそれ以上に、父の体のことを考えました。父は仕事一途な人でした。そのため引退したとは言っても仕事から離れられないのは明白で、「もし私が引き継いだとしても、静養もできずに体調がよくなることはないだろうな。」と考えました。あの頃の私は、「仕事のことは忘れて楽しく生きて欲しい。」と考えていました。
 というのも私にとって父が仕事をしている姿は、活き活きしている半面、常に150%~200%の力で臨むため、消耗しているように見えていました。2度目のがんになった時にも仕事に全力投球で、傍目から見ても「かなり無理しているな。」と思いました。私も母も心配のあまり、「そんなに仕事ばかりしているとまたがんになるよ。」と苛立ち紛れで言っていました。もちろん本人は聞く耳は持ちませんが。仕事や人生の大変さを理解していない私にとって、「父が一生懸命に仕事をすること=病気になる」という印象さえありました。

会社を売り出す

 結局私が継がないために、父は会社を売り出し買い手も見つかりそうでした。その時に考えたのです。父の血と汗が染み込んだこの会社を、人の手に渡してよいのだろうか。父が提唱してきたことは、“セルフケアの心を育てる”という本当に大切なことだと思う。健康産業界には人を騙して高額なものを売りつけたりと悪い人もいます。もしそのような人の手に渡ったら、会社の名前に傷がつくな。この会社が無くなったら、父の気力もなくなるだろうな。それに私はこの健康の道で生きてゆくことを決めて勉強もしていたわけなので、継がない理由もありません。それなので仕事から完全に離れ、田舎でしっかりと静養してもらうことを条件として、会社を引き継ぐことを決意いたしました。2002年のことです。

父と菜園のブロッコリー
父と菜園のブロッコリー

頑張りすぎが病気を生むのではないか

 思えば父は真面目で猪突猛進、とても頑張り屋さんでした。常に仕事に全力以上の力を注いでいました。ただ「健康のことを考えたら、もう少し息を抜いてもよいのではなかろうか。これまで十二分にやってきたのだから、自分の体や楽しみのために時間を使ってもよいのではないだろうか。」と常に思っていました。
 父が好きだったのが、温泉と菜園でした。私は「温泉に入って野菜を育てていれば、父の体調も回復するのではないか。」と考えました。それで私は田舎への移住を提案しました。私は「辛いことや頑張りすぎが、呼吸や血行、腸内環境、脳、臓器に負担を与え続け、病気をつくるのではないか。」と考えていたのです。
 後から考えると、父もそのことはわかっていたのでしょう。それでも仕事から離れられないところに葛藤があったのだと推察します。父は晩年仕事に打ち込む私に向かって、「洋、病気になるからほどほどにやれよ!」といつも言っていたことを思い出します。自分自身の失敗とともに、同じ姿を私の中に見ていたのかもしれません。

猪突猛進は病気克服のエネルギーになるものの

 父の猪突猛進ともいえる実践力は「自らのがんを治す」という場面でも、遺憾なく発揮されたと思います。でも何より私の心に深く刻まれているのが、「生きよう」という気持ちの強さです。「この強さと実践力の強さで、幾度もの難局を乗り越えたのだな。」と考えると今でも心を打たれます。でも「その強さゆえに生活の中で無理やストレスを生み、逆に病気を生みやすいといった側面もあったのではないか。」と私は思うのです。

東京の店舗で足浴を行っている私の母
東京の店舗で足浴を行っている私の母

真の健康法について考えさせられる

 話は私が父とともに働いていた1995年頃に戻ります。当時は店舗が東京の錦糸町という街中にあり、相談をメインとした営業を行っておりました。父の経験や方針もあり、お客様の大多数はがんや難病のお客様方でした。私も多くのがんのお客様方と、お話をさせていただきました。その中で「真の健康法とはどうあるべきか」ということを深く考えさせられました。
 というのも商品をご購入いただいても体調が上向かない方もいらっしゃったからです。つまり父にとっては通用した方法でも、全ての方々に同じように通用する訳ではなかったのです。そしてその時“気持ちの重要性”に気が付いたのです。人は父のように代替療法に対して信念があったり、実行力がある方々ばかりではありません。がんになって初めて健康食品や治療器を手にとられたという方も多くいらっしゃったのです。人により半信半疑であったり、迷いの中であったりするのは当たり前です。そのため実行力が伴わなくても仕方がないことでしょう。でも病気と闘うためには、強い信念や意志力に裏付けされた“実行力”が不可欠だったのです。

病気の本質を理解して健康意識を高める

 父がなぜ全力で温熱や健康食品に注力できたかというと、「健康の本質を掴んでおり健康は自分自身で創り上げてゆかなくてはならない。」ということを理解していたからです。強い意志力のためには、健康の本質を捉えるとともに健康は日常のセルフケアの積み重ねからしか得られないということを、体感する必要があったのです。

父と勉強会
父と勉強会

セルフケアの重要性をお伝えしよう!

 そのため私は「セルフケアの重要性をお伝えすることこそ、最も大切な仕事だ。」と感じました。だからこそ父は冊子作りや相談会、講演会などを通じ「伝えること」に全力を注いでいたのでしょう。
 私もそれに習い、健康について精一杯お伝えしよう。そしてその中から何かを感じとっていただき、心に火を灯してもらう。それが健康への推進力となっていただけることを目指して行こうと思いました。そのため私は2003年にホームページを開設するとともに、パンフレットや冊子作りなどを通じ、お伝えすることに全力を注いでおります。そして今後はオンラインなど、より伝わる新たな方法も模索して参ります。

2021年2月1日

 グリーンポプリ株式会社 代表 後藤 洋