私が幼少時にアトピーや小児喘息、蓄膿症など虚弱でしょっちゅう病院通いをいたしておりました。病院に行くたびにお尻や顔面の鼻などに注射を打つのですが、そのたびに私が泣きわめきます。40年以上経った今でも覚えているのですが、その時の注射の怖かったこと怖かったこと。特に鼻に打つときは目の前に注射が迫ってくるのが見えるのです。だから注射も何十cmもあるくらい大きなものに見えていました。それがかわいそうだと思ったのでしょうね。そして父はもともと自然医学に興味を持っていました。そこで両親は一念発起し病院通いを断ち切り完全玄米菜食に切り替えたのです。
そのような家庭ですから我が家は40年以上も前から、自然食品、健康食品、健康機器、治療器で溢れていました。我が家には青汁があって、梅肉エキスがあって、へそ温灸器がありました。青汁も飲まされましたし、梅丹も飲まされましたし、「なんて不味いものを飲ませるんだ。」と思っていました。
それに両親の想いに反して、私は玄米菜食が嫌いでした。小学校に行くと他の子の弁当にはあんなにおいしそうな真っ赤なウインナーやハンバーグが入っているのに、なんで僕のお弁当は茶色くてしかも上に黒ゴマ塩がかかっていて、真ん中に梅干しがのっかっている地味ーな弁当なの?しかもフタの裏にゴマ塩がべったりとくっついているから、非常にまずそう。おかずといったらホウレンソウとグルテンミートみたいな感じで、とにかく彩度がない。しかも味気ない。どうしても皆のように美味しいものが食べたかったです。
ある夏休みに祖父の家に行って夕食の食卓に卵が出ていたんです。普段は絶対に食べていないので、私にとってとても美味しそうに見えたのです。どうしても食べたくなって、母に「1つだけだから卵食べちゃダメ?」と聞いたのです。母は許してくれました。そして卵を食べました。そしたらその瞬間にドドドーッと全身に蕁麻疹が出てしまいました。本当にあの時のことも未だに鮮明に覚えています。その時「卵って本当に怖い。」という恐怖が刷り込まれました。でもそれだけ普通の食事に憧れがあったのです。
お菓子もそう。みんなおいしそうなお菓子やアイスを食べているけど、当時私が最も好きだったお菓子は、ポッキーとかポテトチップスではなくて、「梅丹ドロップ」です。当時梅丹ドロップなんてスーパーで売っていません。自然食品店でしか買えないかなりレアものでした。もちろん友達で食べている人なんて見たことありません。大変梅丹本舗さんには大変失礼ながら、梅丹ドロップが最も好きだったということは、他にポッキーだの、カプリコだの、ポテトチップスだのカールだのと美味しいもの食べていなかったということです。小学生の時、1、2度程度マックシェイクを飲んだことがあって、あのおいしさは忘れられません。このような感じで、私は自然食品や健康食品というものに囲まれて生きて参りました。
それに実際のところ玄米菜食を始めてから数年も経つと、私の喘息やアトピーは治まっていたのです。なので玄米菜食は嫌いだけれども良いことはわかっていたのです。
ところが父はそのような中で、約40年近く前に肺がんを患ったのです。しかもそれを病院治療を行わずに健康食品や健康機器だけ(食事や運動も含めます)で克服したのです。その後健康産業に転職して2年ほど勉強をした後、1986年に弊社を創業しました。まあ当時の私にとりましては、「父は凄いなー。」という感じです。それと同時に「健康食品ってすごいな。治療器ってすごいな。」と思うようになったのです。
そして私も高校生から大学生になりますと、アトピーや小児喘息なんて無かったかのようなことになっているわけです。だから私の中に玄米菜食のありがたみなど皆無で、それよりもハンバーガーなど美味しそうなものを食べたいという思いのほうが強かったのですね。その反動で大学時代は肉でもハンバーガーでもお菓子でも自由に食べていました。我が家でも玄米菜食は行わないようになっていました。ところがそのような生活が長く続くと、おならや便の匂いも臭くなり体調も悪くなってきました。そのとき初めて、「両親が行っていた玄米菜食ってよかったのではないか?」と認識するようになったのです。ちょっと両親が行っていた玄米のことを見直したんですね。それで今度は自分自身が主体となり、芋だけ生活を続けてみたり、ごぼうの煮汁を飲んでみたりと、腸内環境改善生活を始めるようになったのです。
それに父は私にお店のお客さ様で「誰誰さんが~ガンが治った。」とか、「誰誰さんが~病が治った。」ということをとても嬉しそうに、そして誇らしげに話していました。そのことを頻繁に耳にするうちに、「健康食品や健康機器ってすごいんだなー。」と思うようになりました。このような経緯から私も健康のお仕事に携わるようになり、「将来とてもよい健康食品が作りたい。」ということが夢になったのです。結局、健康食品とともに生きてきたようなものであり、愛情があるんですね。